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高校に進学した私、周りはけんちゃんのことを知りません。
通学の電車で、学校で、バイト先で男性に告白されることが増えました。
(昔は…きっと可愛かったのですよ(笑))

親からの愛情を渇望していた私は『誰かの一番になりたい』と、常に
思っていたので、『私の兄は自閉症なの』と話しても、特に怯まない人と
お付き合いをすることは、たまにありました。

でも、誰と一緒にいても『この人じゃない』と思い、長く続きませんでした。
私のことが好き、と言いながら、みんな自分が一番好き。
私より、自分や親のことが大事。そう思うと、もう一緒にいられない。
誰と一緒にいても、さびしい。二人でいても、さびしいってどういうこと?

ある日、私自身が誰のことも一番だと思えていないことに気付きました。

自分のことも一番ではないけれど、自分だって一番がいないじゃないか。
この先、誰かを一番だと思える人に巡り合えるのだろうか?
誰かの一番になりたい』と、周りに求めるのは違うのではないか?
これは自分自身の問題なのではないか?

私って、一体何のために生きているの? どうして生きているの?


…夫や子どもたちと出逢えた今なら、その頃の私に答えを言えます。
「昔ね、けんちゃんが幼稚園に上がる年齢になった時に、障害福祉課の
人にこんなことを言われたことがあったのよ」
私が高校生のころ、母が私に言いました。

その内容は、「こんな子が入れる幼稚園は、どこにもありません
そのようなことを、はっきりと言われたそうです。

当時、母は窓口でその女性職員と口論になったとのことでした。
しかし、結局けんちゃんは、隣町の幼稚園に通うことになりました。

それから十数年が経ち、その女性はまだ障害福祉課にいました。
母に「あの時は、本当にすみませんでした」そう話したそうです。
障害福祉課での経験を積まれて、思うことがあったのかもしれません。

もし、彼女の謝罪の言葉がなかったら、母はその昔話を私に伝えることは
なかったのかもしれませんね。吹っ切れた母は、強く生きていました。

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